III−5 神経難病におけるDNA診断をめぐる諸問題
医学の発展のなかで代謝異常が検出できないことから根治療法がわからず取り残されてきた神経難病の分野において、この数年間に数多くの原因となるDNA塩基配列異常が明らかにされた。この分野で緩和医療的なアプローチを行ってきた長い歴史のなかでは画期的な進歩といえるが、蛋白レベルでの異常の解明、治療薬などの開発についてはいまだにできておらず難病であることは変わっていない。DNA 診断は治療法の確立にいたる過程として重要であるが現時点では根治療法に結びつかないためその臨床利用においては早期の詳細病名確定の意味合いが多い。早期の確定診断や早期の病名告知の患者自身にとっての意義・問題点などについて緩和医療の観点から紹介する。家系内での発症前診断については技術的には可能だが、ハンチントン病でのガイドライン1)、人類遺伝学会のガイドライン2,3)、WHOのガイドライン(草案)4)などで論じられているような倫理や心理・社会・経済的な問題を踏まえ、十分なインフォームドコンセントとカウンセリングを行い個人の自己決定権を基本とした運用が推奨されている。しかし、現実の運用ではほとんど手探り状態にある。発症前診断により個人のQOLがどのように向上するかどうか、個人の知る権利と知りすぎたための悲劇はおきないかなどの基本的な検討が必要と思われる。日本の健康保険制度では疾患名や遺伝子情報による差別・制限はもとよりないが、健康保険制度の異なる米国においても遺伝子情報による差別を行わない方向性が打ち出されている5)。しかし、生命保険・障害保険の領域では加入者と会社との間で利益の葛藤・競合が起きる可能性が高く6)告知義務の範囲や遺伝子診断を行った検査・診断機関に問い合わせがきた場合の対応などは解決されていない。上記の問題を背景に遺伝性脊髄小脳変性症(SCA1, SCA2, Machado-Joseph/SCA3,SCA6,SCA7,DRPLA)ハンチントン病などに対する末梢血白血球を用いたDNA診断について実際の応用を示し、当院での経験も踏まえて述べてみたい。また、母性遺伝形式をとるミトコンドリア脳筋症でのDNA 診断、多因子遺伝としてのアルツハイマー病などの遺伝子診断上の諸問題についても論点を提示したい。
進行性筋ジストロフィ症に対する遺伝相談などの実際7)や、生殖医学から提示されている着床前診断としての胚生検などの問題点8)などについては疾患ごとの議論が必要で今回は直接紹介しないが、時間の許す範囲で討論には加えていきたい。
参考文献)
1. IHA and WFN research group on Huntington's chorea, Guidelines for the molecular genetics predictive test in Huntington's disease, Neurology 1994;44:1533-1536.
2. 日本人類遺伝学会、遺伝カウンセリング・出生前診断に関するガイドライン、日本人類遺伝学会誌39巻、3号
3. 日本人類遺伝学会、遺伝性疾患の遺伝子診断に関するガイドライン、日本人類遺伝学会誌40巻、4号
4. D.C.Wertz et al.(WHO), Guidelines on ethical issues in medical genetics and the provision of genetics services,1995. (遺伝医学の倫理的諸問題および遺伝サービスの提供に関するガイドライン、日本語訳、小児病院臨床遺伝懇話会有志、福島義光編集、信州大学 衛生学教室)
5. The Ad Hoc committee on Genetic Testing/Insurance Issues, BACKGROUND STATEMENT Genetic Testing and Insurance, Am. J. Hum.Genet.56:327-331,1995.
6. J.E.McEwen et al., A survey of medical directors of life insurance companies concerning use of genetic information, Am. J. Hum. Genet. 53:33-45,1993.
7. 高橋圭一(班長)、筋ジストロフィーにおける遺伝子診断遺伝相談ガイドブック、厚生省精神・神経疾患研究委託費、筋ジストロフィーの臨床・疫学および遺伝相談に関する研究班、1995.
8. 佐藤和雄(委員長)、診療・研究に関する倫理委員会報告(平成8年度)、日産婦誌、49(5):269-271,1997.