網走市 吉田雅志
はじめに
この度、ALS患者及び家族の懸案であった、「北海道ALS友の会」が、全道各地の患者並びに家族の方々、更には、関係各機関の来賓の方々をお迎えして、本日、盛大に発足できますことに、患者の一人として厚く御礼申し上げますと共に、本会の発足を心からお祝い申し上げます。
これからは、この会が全道の「患者・家族」の心の支えとして、会員相互の交流、情報の処理や情報発信の中核として、私たちに希望と勇気を与えてくれるものと確信しております。
また、この会が、私達の声を結集し、全国の仲間と手を結び、わが国の医療・福祉行政に反映させて頂きたいものと願っております。そのためには、私達一人ひとりが、この会を自分のものとして、会員全員で助け合い、支え合っていくことが太切であると考えます。
最後に本会結成の必要性を痛感し、長い間準備を進めてこられました、三浦さんには心から感謝申し上げると共に、本会結成の趣旨をお扱み取り戴きご支緩、ご協力下さいました関係機関の方々に厚く御札申し上げます。
ALS患者としての体験から申し上げたいこと
本日は、私がALS患者としてこれまで体験したことを紹介しながら、本会の運営や医療・福祉行政に望みたいことをいくつか申し述べたいと思います。
私がALSと診断されたのは、平成5年5月のことでした。まず、右手の動きが純くなり、次第に左手の動きが悪くなりました。平成6年6月には仕事ができなくなり会社を退職致しました。
その間、ALS友の会準備会に参加したこともありましたが、当時は、私自身、自分の生活や今後の不安ぱかりが先に立ち、自分の気持ちの整理がつかず、友の会結成にまで気がまわらず協力する気持ちにはなれませんでした。それは、死への恐怖が片時も離れず、身の置き所のない自分を持てあまし自暴自棄になっている時でもありました。
*当時、患者・家族にとって最も必要だったことは、ALSという病 気の情報であった。
平成6年9月には、両手の機能が殆ど失われ自分で生活できなくなり、実家で生活することになりました。当時は、歩行は全く支障がありませんでしたが、両手が使えない状態で、これから自分がどう生きていくのか、思い悩む日々を過ごしておりました。
*この時期に必要だったことは、福祉行政と補助具の知識でした。
そんな生活をしている平成7年春に、先輩が農産物流通の会社を設立することになり、私に手伝って欲しいとの話しがありました。そこで、パソコンを利用すれば私にもできることが分かり、5月からパソコン教室に通いました。
初めは、わすかに動く左手でキーを打ち、なんとか操作を覚え8月から経理を担当しました。しかし、10月にはその左手も完全に動かなくなったので、手製のマウススティックで操作するようになりました。この時期は、仕事も順調で障害者でもハンディを乗り越え普通に仕事ができる喜びで毎日の生活に張り合いもあり、希望の持てる日々を送っていました。
年が明けて平成8年の冬になると会社の仕事は暇になったのでパソコンで仕事をしながら考えていたインターネットによる情報収集をしてみようと考え近くのプロバイダーに接続した.
しかし、そのためには、障害者用マウスを使用しなけれぱならない事がわかりましたが、足で操作する「コネコノ手」(障害者用マウス)を捜し出すまでに随分苦労しました。アメリカでは一般的に知られていて雑誌にも広告が出ていたので雑誌社を通じて問い合わせてみたが、日本の機種に合わないことが分かり、結局インターネットのIBMのポームページで各種入カ機器を見つけることができました。
*障害者用パソコン入カ機器の情報が欲しかった。
4月に父の転勤に伴って網走市へ転居しましたが、そのころから歩行があやしくなり一人では危険で、歩行にも排便にも介護が必要になっていました。
平成8年7月になって首の筋カが急速に衰え、会社経理の仕事はハードで耐えられなくなり、会社から身を退かざるを得なくて愕然としました。しかし、自分のペースでゆっくり入カすることは出来るので、インターネットによって自分の生き方を考えてみようと思いました。 7月に自分のポームページを開設し、12月にパソコン通信キー局「フルバック」を開局しました。 *この時期に必要だったことは
網走に来て知人もなく寂しく不安な思いをしていましたが、8月に入ると、足、首の衰えが進み、とうとう車特子の生活となりました。
9月に保健所主催の神経難病患者の旅行がありました。自分ではまだ障害者と呼ばれることに抵抗もあり不本意ながら、「ポランティアの人々と知り合いになれぱ」という気持ちで参加しました。この旅行をきっかけにして、保健所、社会福祉協議会、介護支援センター、網走脳神経外科病院等の方々を中心に、私へのケアネットワークが形成されていきました。
現在では、インターネットやパソコン通信で知り合った方々を含めポランティアの方々に支えられております。また、パソコン通信やインターネットを通じて知り合った道内外の仲間や、全国各地からの励ましや情報提供者の支援も受けています。
*こうした体験から、AしS患者に対するケアのネットワークの必要 性を痛感する。
11月に入ると、自分で寝返りが打てなくなり24時間介護のために、母には今まで以上に負担をかけるようになりました。更に、移動用リフト、電動ベット及ぴエアーマット、ポータプルトイレが必要になりました。また、車椅子になってから外出もままならなくなったので、リフト付き車両が必要となり12月末に購入しました。両親は、私の病気の進行状況から、一般住宅での生活がいつまで続けられるか不安を感じ、定年1年前ですがこの春、札幌市に身障者用住宅を建築致しました。
*制度上の矛盾を感じる。
現在、ALS治療薬として「リルゾール」という薬があります。この薬は、完治する効果はなく、1年程度の延命効果が確認されています。
私は、アメリカのALS関係の情報を知りたくてインターネットで検索している内に偶然「ALSダイジェスト」を発見しました。そこで分かったことは、現在アメリカでは、12の研究チームに別れてこの病気の解明に当っていること。リルゾールが承認されている国は、アメリカ、プラジル、アルゼンチン、EU加盟の16ケ国、チェコ、韓国であること、ALS患者支援法案が下院で審議されていることです。
私は、完治効果はなくても、なんとかこの薬を試してみたくて、リルゾールを供給してくれる国がないかどうかメールを送ったところ、韓国から入手するよう勧められました。私は、4月下旬から、私個人の責任におい
て、韓国から個人輸入してこの薬を飲んでいます。
私個人の意見としては、患者に希望を持たせる意味において、日本でも保険適用の上速やかに承認されますよう望んでいます。
*日本でもリルゾールの治験は終わっていると聞いています。
私は、こうした情報をアメリカのように、いつでも、だれでも、どこでも入手できるよう強く望んでいす。